比較
- 7月12日
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更新日:7月14日
平等とは全体を同じ様に扱い不公平と正しさを生む。
公平とは細分化をして不平等と満足を生む。
平等は制度で、公平は心。
自由と無秩序は違う物ではあるけれど、今世界で語られる自由と呼ばれるものの多くが無秩序だ。
自由という概念は大衆普遍であったり、権力者の無秩序を通すために規律が作られ、その過程で排斥される少数が息苦しさを感じる過程で生まれるものだ。
規律を破る事は無秩序であるが、権力者や少数の為に作られる大衆が過度な不自由を被る規律に対しての無秩序は大衆にとっての自由を生む。
自由とは選択肢を知らない事でもある。鳥かごの中が自分にとっての全てで一生を終えれば一生自由なままで居られる。知れば比較が生まれて自分が囚われている事を知る。
無知でいることは自由で居られることでも有る。選択肢が少ないからだ。
主観的自由とはどの状況においても選択肢を自ら選ぶことが出来る事だ。
進歩や進むという言葉は他者を比較対象にしたとき攻撃や自虐になる。
進歩という言葉を共同幻想を持たない集団が使った時自虐や排除の言葉に変わる。
進歩とは、個人においては目標を定め、集団では共同幻想を生み出し、達成する事だ。しかし、その目標が比較による物なら幸せに成る事は出来ないだろう。
隣の芝生は青く見えるのは他者と比較して違う部分を埋めようとするから。

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