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クロダはあくまで性別不詳

僕はアバター、キャラクター作品を作る時、世間一般に言うジェンダーレス、と呼ばれる様な作品を時折作る事が有る。


男だとか女だとかネットのごく一部では毎日毎日の様に騒がれて、でも男と女の違いは何なのか?肉体的違い、そんなもの大した違いじゃないと思う。肉体が大きかったり、縮んでいたり、一部が退化していたり一部機能が付いていたり。


でも男と分類される中にだって胸が多きい人が居て、筋肉が少なかったり、声が高かったり、性器と呼ばれる部分の肉がちっさい人も居る。女と分類される中にだって男性器に当たる部分には肉が付いていたり、女性器と呼ばれる部分が塞がっていたり、生えてたりね、胸周辺に付いている肉が多かったり少なかったり、筋肉が多かったり声が低かったりもする。


腕が4本ついていたり、頭が二つあったり、肌の色が違ったり、人は自分の価値観に基づいて分類できないものをカテゴライズから外して奇形だとか障害だとかに分類して来た。


大きなカテゴリーという宗教を守るためにそれらを人間社会から悪い物として消して来た。排除したい人達の気持ちも分からない事も無いけどね、自分と違うって言うのは魅力的な場合も有れば恐怖の対象にも成り得る訳で。


だけれど機能の良し悪しは環境によって左右されるものの存在するとして、それは言ってしまえば、胸部に脂肪が付きやすいという個性、筋肉が付きやすいという個性、下腹部にホースの様なものが成長し易いという個性、下腹部に穴が開きやすいという個性、子供を産みやすい個性、腕が何本も有るという個性、足が無い、耳が聞こえない、目が見えない、目が沢山有るという個性、声が高い、低いという個性、毛が生えやすいという個性、肌の色数えればきりがない程にたくさんの個性。遺伝情報にも中間が無い訳じゃ無い、存在する。


性別という枠が馬鹿らしくなる程沢山の個性の度合いによって総合的に判断するものが性別なのだろうけれど、性別という概念を作った人間達の宗教観に基づく物でそれに当てはまらない人だって沢山居る。


つまり僕らは自身の価値観に基づいて女性とはこうあるべき、男性とはこうあるべきと考え無意識のうちにその枠を目指してしまう様、この性別という宗教下において洗脳されている。


この状況において人は自分の価値観を他人に押し付けてこれは何である、何であるべきものだと断定して分類したがる。


僕の作品はそれらを外して、個性をパズルのピースによって構成した継ぎ目の見えなくなるほどに構成した個性の塊というものにすぎず、それを人間は自身の主観においてこれはこの個性が多くみられるから男である、これはこの個性が多くみられるから女であると認識して形骸化しているに過ぎないのだと思う。


男性的特徴と呼ばれる部分、女性的と呼ばれる部分、自身の美的感覚において綺麗だったりえっちだなーって思う部分、僕の作品はこれらの個性を自身の主観的美観や本能的なフェチズムに従って組み合わせられたもので、人間から見ると人間に見えるかもしれないけれど、無機的な個性と特徴の集合体に過ぎない。


言ってしまえば個性のフランケンシュタインの怪物なのだと思う。


胸という要素が有るからと言って女性ではなく胸という要素が追加された人間によく似た形をした僕の好きの集合体みたいなそんな存在。

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