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Youtube ショートを見てしまう脳を解体する

  • KUYU Nekomi
  • 2024年11月28日
  • 読了時間: 4分

更新日:2025年7月3日

最近になって僕は前に比べて感情が薄くなったようなそんな感覚がしているんだ。


前からそうでは有ったんだけれど、自分を律しているからだと勝手に思ってあまり気に留めない様にしていたんだと思う。


現代を生きる上で喜びを得られなくなっていると感じている人が居たならばこの続きを是非読んで欲しいと思うよ。


SNS、Youtubeショートを眺めて終わるって事は無いのだけれど、そういう日が偶に有る。


そしてそれが終わったら勉強をする、だとか、遊ぶ、だとかみたいな事をしていく日が多かったりする、2時間だったり、3時間だったりをSNSをただスクロールしたり、Youtubeショートをただスクロールしている時間。


有る時気付いた事はその後にする勉強に全く身が入らない、というか文章を読んだ先から消滅していく様な、頭の中に文章が入っては抜けていく様な


もうこれ以上入り切りません、みたいなそんな感覚。


そして勉強をしていると手癖で何故かいつの間にかYoutubeショートを開いていたり、SNSを開いていたりするんだ。


心底恐ろしいと思ったよ。


人間の脳は快楽を出来るだけ簡単に得ようとする。これは自分の意志とは関係ない、性欲とかと同じものを永遠に指一本動かしているだけで平坦な抑揚が手に入ってしまう。


多分脳は一日に短期的に記憶できる容量がある程度決まっているか、快楽と認識している物に関しては直ぐに忘れる様に出来てる。


昨日見たショート動画の内容とか覚えてる?僕は全く覚えてないんだよ、SNSで見た炎上騒動、覚えてる?僕は全く覚えてない。殆ど、多少は覚えているけれどそういうのは嫌な記憶だったりが殆どだと思う。


あとは自発的に行った行動の記憶。


SNSでもそういう行動の記憶は残る。


脳は一度得た快楽を簡単に得られる手段が有るなら寄り簡単な物を理性とは関係なく欲しがる。


現代版の麻薬だとか、そんな感じだと思う。


だからぼくはまずは自発的ではないそういった短絡的な快楽に溺れるのをやめることをどうにか頑張っている所


例えば作業中にいつの間にかYoutubeなんかを開いていたら気付いて止めるとか、Twitterがいつの間にか開かれてたら気付いて閉じるとか。


それでも後ろ髪惹かれる様に気になって気になって仕方が無いんだよね。


だから試しに別の事から始めてみたんだ、漫画を読んで、後ろの小説パートを読み飛ばさずに読むとか、そしていくらか続けていくうちに少年時代に読んでいた様な勉強本を読むまで2日。


受動的ではない快楽って言う物をどうにか得たいと思える様に成って来た。これは多分気付かないと依存者には出来ない事だと思う。


今の自分に必要なのは多分色々な試行錯誤を自発的に行って色々な無駄を沢山やって結果として残る達成感なんだろうと思う。


SNSやYoutubeはそんな様々な無駄や冒険という楽しみを不意にして得られる小さな快楽だ。


小さいドミノを組み立てて崩す様なそんな事だと思う。


本当に小さな小さな快楽の為に指を動かしていたと思うと心底うんざりする。


どうせならあと一歩で届くくらいの目標を理性的にクリアして、理性的に快楽を手に入れられれば人生は充実した毎日に成るんだろう。


幸福の話にもこれは繋がるかもしれないね。


AI生成画像、あれも似たようなものだろうね、数時間をかけて描く様な欲求に忠実な画像がものの数分で、しかも自分で考える必要もほとんどなく出て来るんだから最初は生成までの道のりが有った分快楽は大きい物だろうけれどそれも時期に簡単になって行って平坦な物に近づいていく、得られる快楽はどんどん少なくなって行って不満が溜まっていく。


無駄を楽しんでこその人生であり本当の娯楽なんだって事に気付かせてくれたしょぼい快楽には感謝


人生は短いからと焦って道を急げば息が上がり楽しみも減る


道すがらの小さなことでも楽しみながら歩けば息も上がらず気付けばたどり着いている


自分の舵を自分の意志で握って自分が見たいと感じた事、やりたいと感じた事を他者の介入なく、自分の意志で行う様にすれば必ず自分の意識を取り戻せる

 
 
 

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