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生きる事はそれだけで

  • 2021年12月20日
  • 読了時間: 1分

昔はいつ死んだって良いって思っていた。


だけれど経験を積めば積むほどに、友人と仲良くなればなるほどに、楽しい事が増えるほどに、死ぬことが怖い物に成っていく。


この間一番死を身近に感じた時に僕が感じたことはまだ自分の全てを見せていないまま死ぬなんて嫌だ。


そんな後悔だった。


成す事や人間性を身に付けていく事というのはそれだけで人が死ぬときに飛び降りる階段を一段一段積み上げていく作業の一環なんだと思う。


でも空高い所にまで行けたならきっと飛び降りる事も怖くなくなる様にいつか死ぬその日を怖がらないで済むときが来るのかな。


多分普通の人は友人の事を思って死んで行ったりするのかな、何を思って死んでいくんだろう。


人と真っ向から向き合って無い様な少数派的な精神に生まれたせいかどうも僕は死に際に人を思いやるなんてことが出来ないらしい。


今のままだと多分僕は最後まで作品だけを思って死ぬ。


自分だけを思って死ぬ。


お前はかわいそうな人間だね。


これからも階段を上っていく。


この階段が永遠に続いたら良い。


本当に嫌になる。

 
 
 

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