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生成AIとの付き合い方を考える

  • KUYU Nekomi
  • 1月2日
  • 読了時間: 3分

更新日:4月16日

急速に成長し、人間の文化との衝突が時折みられる様になった昨今、改めて思うのは文化の本流とは、娯楽の本流とはという事についてだと思う。




娯楽とは何だろうか、例えば音楽を楽しむ、絵を描く、物を作る、まず娯楽とは仕事ではない。


行為を楽しむ事そのものなのだと思う。


AIが進んだ後の世界と、その中間と


AIが進んだ世界には仕事としての娯楽、勉強といったものはほぼ無くなる


何故なら仕事は必要な事だから


必要なものは仕事であるからAIに置き換わらざるを得ない、それが利便性を求めた社会の終着点


じゃあ今の仕事として存在している事柄はどうなるのか


それは個人が楽しむ趣味へと変化する


今重労働だと思っている様な事も楽しみとして変化せざるを得ない、人間はそうやって生きて来た


仕事がレジャーになって行くんだろう


これがAIと社会が完全に一体化した状態の数十年か、百数十年先の未来に必ずやってくる未来


ならその中間はどうなのか


いま重労働は機械に置き換わり、機械を扱う人間がAIに置き換わり、そして徐々に娯楽文化が仕事になっていき、娯楽は仕事へ、そして娯楽を仕事とする事、がAIに置き換わりつつある


これは産業革命時に何度も起きて来た事柄で人が利便性や効率を仕事に求める限り防ぎようがない世界の大きな流れになる


その間に多くの娯楽の産業が本来の個人の趣味としての娯楽に置き換わり、そして他の産業がそうであったようにあらゆる娯楽産業がAIに置き換わる中でそれらを生業とする人の多くは職を失うか別の形になる事を余儀なくされる


何故ならばそれが仕事としてやっている事柄だから


これは娯楽を産業から人々の楽しみへと取り戻していく流れでもあると思う


また今はAI生成を人が行っているけれどその内にそれらの人を挟むというプロセスも無くなり、AI生成を行うAIが無限にひたすらに生成をし続けるというのは今の進化のスピードを見ても相当早い将来にやってくる事だろうと思う


その世界の中では人から今の様な形の仕事という物はは現在認識されている様な仕事という物からは大きく外れた物になって行くだろう




これは必ず近日中に到来してもおかしくはない今起きている大きな流れの予測になる、生き方を考える時期に差し掛かっているのだと思う。


想像できるだろうか、たったの10年かからずにこれまでやって来た生き方を2転3転させる様な激動の生き方を


これからはそういう生き方をしなければいけない社会になった


僕らの過ごす世界で必須とされる様な物は殆ど自動化されていて、そこに従事できる人間の数は限られている、人間すべてが土木に従事できるかと言ったら否だし、農業に従事できるかと言ったらそれも否で、土木は既に家は放漫化していて、農業ですら過剰生産が行われている。


僕らの過ごす世界ではほとんどが無くなっても困らない無い物で構成されている社会だ


日本人の価値観としては今の所は働くのは義務の様な感覚がするかもしれないけれど、今や働くことは特権に成った

 
 
 

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